こんにちは、筆者です。
2023年5月27日(土)
RAMPAGEライブツアー『16』
初日・静岡公演に行ってきました!
静岡(エコパアリーナ)は毎ツアー必ず行くようにしている大好きな会場なのですが、なにしろ今回の静岡は倍率がとんでもなく厳しく、チケットが箸にも棒にもかからず泣いていた筆者…。
そこへ友人のポチさん(仮名)から「1枚余ってるので行かないか」と誘われ、運よく初日だけ行くことができました!持つべきものは友。これを刺青にして胸に刻んで生きる。
しかし公演の前日、まさかのポチさんが発熱で行けなくなり…。
筆者は「初対面のミケさん(仮名)」と「初対面のタマさん(仮名)」と三人で行動することになった。仲介者だったポチさんが抜けたことにより、まさかの『ガチ初対面・1泊2日静岡の旅』が決行です。
結果から言えば静岡旅めちゃくちゃ満喫して、ミケさんもタマさんも超いい人で感謝しかありませんでした!ありがとう!
しかし問題は静岡観光ではなく、ライブ中に起きた。
なにが起きたか簡潔に言おう。
推しが脱いだ。
だから何だ?という人もいるだろう。
アーティストならテンション上がったら脱ぐこともあるじゃないか。ましてや天下のEXILE TRIBEぞ?息をするように脱ぐんじゃあないのかと、そう思うだろう。
しかし、筆者の推しは山本彰吾である。
読者の中には山本彰吾をよく知らない人もいるだろうから説明しよう。
筆者はかれこれ6年ほど山本彰吾を推しているが、記憶する限り彼の上裸を拝んだのはたったの3回だ。*1
①番組の温泉企画*2
②番組の温泉企画*3
③ドラマの役でサウナに入った時*4
どれも脱衣が必然的なシュチュエーションであり、本人の自発的なものではない。
ちなみに上記でさらっと『上裸』と言ったが、これは『じょうら』と読み、「上半身裸」という意味である。EXILE TRIBE界隈では常識的な単語だが、実は辞書には存在していない言葉だ。広辞苑を発行している岩波書店様へ。『上裸』の追記、ご検討宜しくお願い致します。*5
話が逸れたが、つまり山本彰吾は「ファンに見えるところで自発的に上裸になったこと」が一度もない。
そもそも肌の露出が少ない衣装が多く、ファンの間では「鉄壁」と言われている。RAMPAGEは『メンバー16人で衣装の布の総量が決まっている』という都市伝説があり、袖やインナーの無い服を着ているメンバーがいたら、その分の布を全て山本彰吾が使っている説が有力だ。つまり、それくらい肌が見えないのである。たま〜〜〜〜〜〜にタンクトップを着ようものなら「に、二の腕が見える…!?」とファンが動揺するレベルだ。
ライブ中も踊りすぎてシャツのボタンが外れてはだけることがあるが、間奏で素早く留めなおす神業を会得しているため、「あっ」と思って瞬きをしている間にもう閉じている。鉄壁の異名は伊達じゃない。
自身も「肌めっちゃ白いから脱ぐ意味ない」と公言していた。「どんなにバキバキに鍛えても照明で全部飛ぶから」、「おりゃ!オス♂!って感じじゃないやん、俺」と脱ぐことに関しては否定的な言葉を残している。*6
もちろん脱いでくれたらありがたく拝見したいという気持ちではいたが、「脱いで〜!」という感情を山本彰吾に抱くことは彼の意志に反するようで出来なかった。脱がないことがアイデンティティというか、それが彼なりの自分のブランディングなんだろうなと納得していたから、脱がないことに対して一切の不満も疑問もなかった。
そんな推しが、脱いだ。
天変地異である。
まず、その時の状況を説明したい。
ライブ本編が終わり、アンコールでRAMPAGEがメンステ(前方のステージ)に再登場した時のことだ。筆者の席はアリーナのエンステ(後方のステージ)寄りだったため、メンステが見えない。モニターで確認するしかないので、モニターに映る山本彰吾を見ていた。
ボーカルは1人1人アップで抜かれることが多いが、パフォーマーは4〜5人まとめて映ることが多いため、すぐに推しの居場所を把握するのは難しい。特にアンコールで衣装替えをしてきたから、どれが山本彰吾なのか分からない。
一瞬、ヘアバンドをつけた推しっぽい人が映る。
筆者(おっ、あれか!よし、ヘアバンドね、オッケー)
なにせ16人もいるから見分けるのが大変だ。ヘアバンドという分かりやすい目印があって助かった。
しかし、気のせいだろうか。
シャツのボタンが全て開いていたような気がするし、
シャツの下は何も着ていないように見えた。
筆者(よく見えんかったし、次映ったら確認しよう)
もう一度推しが映る。ヘアバンドをしている。シャツのボタンは留めていない。
やっぱりシャツの下は何も着ていないように見えた。
筆者(まぁ、今度もよく見えんかったし、次ちゃんと確認しよう)
もう一度推しが映る。ヘアバンドをしている。シャツのボタンは留めていない。
それでもシャツの下は何も着ていないように見えた。
筆者(そ、そんなわけない。推しが脱ぐわけない。冷静になれ────)
ここらへんから疑念が湧いてくる。もしかして下を着てないんじゃあないか、と。
しかし6年間で培われた『山本彰吾は脱がない』という概念は、そう簡単に拭えるものではない。
筆者(きっと白かベージュのインナーを着てるんだ。それが照明のアレとかソレで肌色に見えてるだけなんだ。絶対にそう、俺には分かる)
何が分かっているのかサッパリ分からないが、とにかく脱がないということだけは分かっている。(分かってない)
もう一度推しが映る。ヘアバンドをしている。シャツのボタンは留めていない。
どう見てもシャツの下は何も着ていないように見えた。
筆者(幻覚!??????!?!???!?!??!?)
とうとう自分の目と脳を疑い始めた。都合のいい幻覚を見ているんだ、そうに違いない。じゃなきゃ説明がつかない。
筆者は自分の視覚より、推しのアイデンティティを信じた。山本彰吾の脱がないポリシーに比べたら、自分の視力なんて0.00000000000001の信用ならないゴミカス器官だと本気で思った。
だとしたら目か脳に大きな欠陥を抱えていることになるので恐ろしい。今すぐ誰かに確認したい。「推しが脱いでるように見えるんですが、幻覚ですよね?」と聞いて、「なに言ってるんですか〜、ちゃんとインナー着てるじゃないですか〜」と言われて、「そうですよね!脱いでるかと思ってビックリしました!」と笑って終わりたい。
しかし問題は、今が『ガチ初対面・1泊2日静岡の旅』の最中だってこと。
初対面のミケさんは翔平推し。
初対面のタマさんは壱馬推し。
友人のポチさんは山本彰吾推しだが、発熱のためお休み。
つまり、どういうことか。
「山本彰吾が脱いでるように見えるんですが、幻覚ですよね?」と聞ける相手がいない。
いや、いいんですよ聞いたって!でも、筆者はミケさんとタマさんがどれくらいRAMPAGEのライブに来ているのかを知らなかった!山本彰吾の上裸率を知っているのかどうかも分からない!(上裸率ってなんや!)そもそもミケさんは翔平を、タマさんは壱馬を見ているに決まってる!それを邪魔してまで山本彰吾の上裸について聞くのってどうなん!?
初対面で「上裸かどうか確認してくるやつ」のイメージついたら今後一生「あのとき上裸かどうか確認してきたやつ」じゃん!!そんなのってないよ!!
でも誰かに聞きたい!そして否定してほしい!脱いでなんかないよって、お前の推しは今日も鉄壁だよって言ってほしい!そして眼科か脳外科を紹介されて正常になりたい!でも聞けない!!あーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!助けて!!
筆者は孤独だった。
あまりにも独りだった。
6年分の山本彰吾への推し心を抱えて、アリーナで立ち尽くしていた。
葛藤していた。混乱していた。
目をこすり、自問自答し、独りで一生懸命考えた。
これは幻覚なのか、それとも現実なのか。
自分で答えを出すしかなかった。
ふと、センステ(中央にあるステージ)にピンスポットが当たった。
誰かがひとり、踊っている。
山本彰吾だった。
ソロパフォーマンスの時間だった。
モニターにただひとり、山本彰吾のアップが映っている。
完全に上裸だった。
筆者「えッッッッッッッッッッッッ!?」
2023年、間違いなく一番デカい声が出た。
もう幻覚とか、見間違いとか、そういうのを考える余地もないほど完全に上裸だった。誰がどの角度からどう見ても120%絶対に上裸だった。シャツは着ていたけどボタンはひとつも留まってなくて、インナーを着ていないことは火を見るよりも明らかだった。
人間って本当にビックリするとウソみたいな行動をしてしまうもので、筆者は"頭を抱えた"。これは比喩とかではなく、物理的に"両手を頭の横に持っていき、こめかみを抑えるように頭を抱えた状態"になった。推しが脱いでいるという事実に脳が爆発して吹き飛びそうだったので、本能でそれを抑え込んだんだと思う。ホラーである。
隣の席ではミケさんが「山彰さん脱いでる!」と叫んでいた。そうか、やっぱり脱いでいるのか。ミケさんにも見えているんなら筆者の幻覚ではない。本当に脱いでいるんだろう。そしてミケさんは頭を抱える筆者を見てケラケラ笑っていた。昭和の漫画みてぇなポーズがよっぽどトンチキだったのだろう。筆者もそう思う。
会場全体からも、「えっ、あの山本彰吾が!?」という驚きの感情が湧き上がっているのを肌で感じた。初日ならではのあの驚きは、何にも代え難い無二の空気感だった。
推しは綺麗だった。
よく鍛えられた肉体美を持っていた。
照明で白飛びするとか、そんなのは甚だどうでもいい杞憂だった。
時間と労力をかけて造られた、人に魅せるための筋肉がそこにあった。
息を呑むとはこういうことかと、筆者は息を呑みながら思った。
推しが踊る。
するとそれに呼応して肉体が躍動する。
力を込めて、全身全霊で踊っているんだと分かった。
服を着ていたってそれは分かるけれど、
着ていないからこそ分かるものも、確かにあった。
別に山本彰吾に脱いでほしかったわけじゃない。
そりゃあ脱いだら嬉しいなとか、筋肉が見たいなという気持ちが全く無かったといえば嘘になる。筆者は肉体美が好きだし、筋肉を見ると景気の良さにテンションも上がる。
でも、推しが脱ぎたくないのなら脱がなくていいと思っていたのも本当だ。
そんな推しが脱いだ。
かたくなに脱がないことを貫いてきた推しが、自発的に脱いだ初めての現場に遭遇して抱いた感情は、「嬉しさ」でも「興奮」でもなかった。
『脱ぐ』という選択を決断をした山本彰吾を、もっと推したいと心の底から思った。
脱がないことを一生貫き通すのもまた、山本彰吾らしいと思っていた。それが彼のブランディングであり、キャラクター性であり、信念でありアイデンティティだと思っていた。
しかし、それを覆す選択が取れることもまた、山本彰吾という人間の恐ろしいまでの魅力だ。
だって誰も想像していなかったタイミングで、誰も考えてすらいなかったことをした。やらないと公言していたことをやってのけ、魅せつけ、会場中のどよめきを掻っ攫って踊った。
いつどうして「やろう」と決めたのか筆者ごときには分からない。もしかして前からやりたかったのか、ツアーの構成を考えてやった方がいいと判断したのか、ただの気まぐれか、理由はなんだっていいがとにかく脳を直接ぶん殴られたような衝撃だった。
6年間貫いた山本彰吾をぶち破って、もっと最高な山本彰吾が生まれた。
この人の最高はいつまで更新されるんだろうと、アリーナで頭を抱えながら思った。
いつだって予想外で、いつだって予想以上で、こっちが思い付きもしない山本彰吾を山本彰吾が創り上げていく。なんてクリエイティブでクレイジーで奇想天外な人なんだろう!
推しの上裸を見ながら、筆者はそんなことを思っていた。
この人を推していれば退屈しない。一生驚いて、一生感動して、死ぬまでワクワクドキドキできる。推していることが誇らしくて、世界で一番の推しだと断言できる。
そう思わせてくれる山本彰吾を、もっと推したいと思ったのだった。
いや上裸ひとつで何言うとんねん!と言う感じであるが、本当のことである。
誰と比べて世界一というわけではなく、筆者の世界では山本彰吾に勝る推しはいない。みんなの推しがみんなにとって世界一であるように、筆者にとっての世界一が彼であると実感したツアー初日だった。
帰り道、推しの胸筋が頭から離れなかった。
夢でも見ていたんだろうかと思うけれど、夢で片付けてしまうのは推しに無礼すぎてやめた。食事を制限して、ジムに通って、多少なりとも脱ぐことに関する戸惑いや葛藤があり(いや、あるかは知らんが筆者は6年という年月を考えるとそうじゃなかろうかと思う)、それを超えて披露してくれた肉体だ。大手を振って「見た!」と言うのが礼儀にすら思える。
ミケさんとタマさんにも何度も確認して、推しが脱いでいたという事実を頭に認識させた。
もしかして初日だけのスペシャルパフォーマンスだったのかとも思ったが、静岡公演2日目に入った友人に聞いたところ2日目も脱いでいたらしい。しかもシャツも着ないで完全な上裸だったとか。(完全な上裸ってなに?)
しかし、これから先のツアーで推しがまた脱ぐかどうかは分からない。また鉄壁に戻るかもしれないし、その日の気分次第でボタンを留めたりするかもしれない。
でも脱ごうが脱ぐまいが、どっちだっていいのだ。
いつだって山本彰吾が見せたい姿が山本彰吾の大正解なのだから。
もしこれからさき一生脱がなかったとしても、筆者はあのとき見た美しい上裸を胸に生きていくので問題ない。逞しい体にスポットライトを浴びながら踊る姿を見て思った「この人を推す」という誇らしい気持ちを、忘れることはないだろう。
2023年5月27日。
今日は推しが脱いだ日である。
ふじこ
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【追記:2024年1月30日】
推しが脱いでるところがピンポイントで無料公開された。
なんで?(ありがとう)
2:47〜山本彰吾ソロパフォーマンス
ポチさんへ。
チケット譲ってくださって本当にありがとうございました。
来られなかった不運の何倍も何倍も幸運なことがポチさんに降り注ぎますように!